聖歌集のMIDIの曲("How Great Thou Art!")を使用させて頂きました。


信州の風景

 信州地方(長野県)の各地へは時々旅行をしますが、最近訪問したリゾート地の軽井沢の風景と、松本市内および小海線の野辺山の風景など、長野県の風景を掲載しました。なお、軽井沢訪問の前後に立ち寄った上州(群馬県)や甲州(山梨県)の風景も、それぞれの地域のページに追加掲載しています。


浅間山と軽井沢

 2011年10月にグループ旅行で軽井沢へ行って以来、毎年のように軽井沢を訪問しています。軽井沢は明治時代にカナダ人の宣教師 A.C.ショーが別荘と礼拝堂を建てて夏を過ごした場所で、以後 周辺各地に多くの別荘や教会が建てられて、日本有数のリゾート地となりました。軽井沢町の周辺には、鬼の押出しや白糸の滝などの名勝地があり、また由緒ある別荘や教会が浅間山麓に点在しており、最近はショッピングモールや個性的な商店、ゴルフ場、美術館などが数多く存在して、多くの人々が爽やかな高原で休日を楽しんでいます。


ゴルフ場から見た浅間山

 今回泊まった南軽井沢の宿泊施設に隣接して広大な「軽井沢72ゴルフ場」がありますが、その東コースのグリーンから眺めた浅間山です。秋晴れの良い天気でしたが、頂上は笠雲に覆われていました。

国の重要文化財・「旧三笠ホテル」

 軽井沢駅から本通りを北に進むと旧軽ロータリーがあり、そのままさらに進と重要文化財の「旧三笠ホテル」があります。明治39年に開業した木造の純西洋式のホテルで、現在は博物館として内部を見学することが出来ます。当時は著名人の社交場として「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれ、モダンなガラス窓や照明など豪華な装飾が施されています。

軽井沢の名所「白糸の滝」

 旧三笠ホテルを更に先へ「白糸ハイランドウェイ」を北軽井沢へ向かって進むと、浅間山の火山礫層の間から “すだれ”を立てたように、山から流れてきた伏流水が、長さ 70 m の曲線を描いて、高さ 3 m の崖を流れ落ちる優美な「白糸の滝」が見られます。

北軽井沢の「鬼の押出し園」

 浅間山は活火山で、頂上は登山禁止ですが、「鬼の押出し園」へ行くと溶岩や土石流の流れた跡を見ることができます。鬼が岩を押し出したという言い伝えから名付けられ、自然のままの奇岩・怪石の中に散歩道が通っています。天明3年(1783年)の大噴火で多くの犠牲者が出たので、その供養のために浅間山観音堂が建っており、火山博物館や花木園もあります。

旧軽井沢の「軽井沢ユニオン・チャーチ」

旧軽井沢のテニスコートの傍らにあり、明治30年からダニエル・ノルマン宣教師によって福音宣教活動が開始され、現在はプロテスタントの宣教師たちの合同教会となっています。建築家D.R.ヴォーリスが建てたクラブハウスを教会に改装し、明治39年(1906年)から使用されている100年の歴史を持った教会です。

軽井沢最古の「万平ホテル」

 若き頃の天皇(当時は皇太子)と美智子妃のロマンスを伝える軽井沢会テニスコート脇の林の中の道へ入り、万平通りを左に曲がると、その先に明治27年(1894年)に創業し、館内に当時のモダンな調度品や意匠を残した軽井沢最古のホテル「万平ホテル」があります。本館アルプス館は昭和11年に建てられた風格ある建物で、現在も営業を続けています。

日本聖公会・軽井沢ショー記念礼拝堂

 軽井沢の魅力を広めた宣教師 A.C.ショーが創設した、軽井沢で最初の教会が旧軽井沢銀座通りのはずれの森の中にあります。その奥には軽井沢・別荘第1号の木造建物を復元した「ショーハウス」が建っており、内部を見ることが出来ます。

旧碓氷峠見晴台よりの展望

 旧中山道を東へ山道を行くと熊野皇大神社があり、その先に群馬県と長野県の県境がある旧碓氷峠見晴台に着きます。ここからは南方の眼下に奇岩が連なる妙義山や関東山地の山々、更に西の方には南アルプスや八ヶ岳、浅間山など、ぐるりと大パノラマの景観が一望できます。

聖パウロ・カトリック教会

 旧軽井沢の銀座通り近くに、昭和10年にA. レーモンドが設計した木造のカトリック教会があります。堀辰雄の小説『木の十字架』にも登場し、軽井沢の人に広く親しまれている教会です。

塩沢湖畔の旧朝吹山荘「睡鳩(すいきゅう)荘」

 南軽井沢にある塩沢湖はレイクサイド・リゾートとして多くの美術館や博物館、レストランなどが集まっています。軽井沢タリアセンは塩沢湖畔の有料公園で、深沢紅子・野の花美術館やペイネ美術館、ローズガーデンなどがありますが、この絵は湖畔に建つヴォーリスの設計によるフランス文学者・朝吹登水子の別荘「睡鳩荘」(昭和6年建築)です。

石の教会・内村鑑三記念堂

 明治時代のキリスト教伝道者・内村鑑三の功績を称えて建てられた石造りの礼拝堂で、ここで行う結婚式は人気があります。地下室には内村鑑三記念堂があって、星野温泉の主・星野嘉助(3代目)と親交があった内村の経歴紹介やいろいろな資料が展示されており、自由と平和を重んじたその生き方を学ぶことができます。

「恵みシャレー軽井沢」

 旧軽井沢の雲場池の近くにあるキリスト教関係の施設「恵みシャレー軽井沢」です。セミナーや研修などが良く行われ、宿泊施設などもあり、丘の上には展望の良い祈りの家があります。雲場池は周囲を別荘地や種々の木々に囲まれ、四季折々の自然が美しい小さな湖です。(2015.6.)

南軽井沢の保養所「すずかり」

 私達の長野県旅行でよく利用する宿泊施設の出版健保保養所「すずかり」の玄関付近のスケッチ画です。南軽井沢にありますが、軽井沢72ゴルフ場のグリーンが建物の裏側に広がり、白樺などの自然林に囲まれた快適な宿泊施設です。浅間山がゴルフ場や近くの通りなどからよく見え、山頂から噴煙が昇るのを見ることも出来ます。(2015.6.)


追分宿、海野宿、上田市内の風景

 軽井沢町から西へは、かつて中山道や北国街道が続いており、多くの宿場がありました。しかし現在でも、史跡として当時の街並みや建物が残されていたりして、軽井沢町の西にある追分宿には、郷土館に行くと当時の様子を偲ぶことができます。 また、北国街道の宿場であった「海野(うんの)宿」は、現在は東御(とうみ)市となった千曲川沿いにありますが、道の傍らを小川が流れる街並みが600m にわたって保存されていて、当時の面影を見ることができます。


追分宿の「旧油屋旅館」

 軽井沢駅から国道18号線を西に行くと、中山街道と北国街道の分岐点にある宿場町として栄えた追分宿があり、石畳の街道沿いに当時の面影を残す建物が点在しています。元禄元年(1688年)創業の旧油屋旅館もその一つで、江戸時代は脇本陣という歴史を持つ老舗旅館でした。堀辰雄、立原道造、室生犀星ら明治〜昭和期の文士らの定宿で、昭和12年に火災で焼失後再建されましたが、最近は旅館を廃業し、現在は古書店・土産店としてその面影を見ることが出来ます。また、追分宿の歴史的資料は「追分宿郷土館」で見ることが出来ます。

追分宿にある堀辰雄文学記念館

「風立ちぬ」「菜穂子」「聖家族」などの作品を書いた作家の堀辰雄は明治37に生まれ、室生犀星や芥川竜之介に師事して文学の道を歩んできました。大正2年に軽井沢を訪れて以来、毎年のように追分宿を訪れて、豊かな自然の中で多くの文学作品を執筆しました。昭和19年から昭和28年に49歳で没するまで追分に定住していましたが、平成5年にその終焉の家蔵書を収めた書庫が、没後に建てられた常設展示棟、管理棟と共に「堀辰雄文学記念館」として開館しました。この絵は旧街道に面した記念館入り口の秋の風景です。

海野宿(東御市)の町並み

 海野(うんの)宿は、寛永2年(1625年)に中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿駅として開設され、本陣を含む伝馬屋敷や旅籠が 650m にわたって軒を並べる交通の要衝地でしたが、明治時代に入り宿場町としての機能が失われました。その後は養蚕の村として栄え、屋根の上に「気抜き」と呼ばれる養蚕部屋の空気抜きの屋根を持つ家が多く見られます。昭和61年「日本の道百選」に、昭和62年「重要伝統的建造物保存地区」に選定されました。家々の「海野格子」や防火壁の「卯建(うだつ)」などが海野宿の見どころとなっています。

上田市内の柳町通り

 上田城の城下町であった上田市内の中心部にも、柳町通りという北国街道の面影を残す町並みがあります。現在の上田市中央4丁目の商店街で、伝統的な様式の商家や問屋、酒蔵や土蔵などが旧街道に沿って並んで建っています。

上田城の櫓門としだれ桜

 上田市の中心部には真田昌幸が天正11年(1583年)に築いた上田城があった城址公園があり、平成6年に旧本丸跡に櫓門が復元され、また場外にあった北櫓と南櫓も移築されて、引き続き他の建物の再建計画が進められています。春になると公園内の千本桜が一斉に咲いて花の名所となっています。


松本市内の風景

 2010年の夏、長野県の中央に位置し、アルプスへの根拠地となっている松本市内の史跡や旧跡を見てきました。その時描いた絵を掲載しました。


国の史跡・「松本城」

 松本城は松本市街地の中央にあり、桃山時代の実戦的な城郭建築様式を伝える現存最古の平城です。1504年に築城され、その後、5層6階の大天守・渡り櫓(やぐら)・乾小天守が1590年頃に、また辰巳付櫓・月見櫓は1644年頃に増築されたもので、いずれも国宝に指定されています。黒い漆で塗られているため、別名 烏城とも呼ばれています。

松本城の天守閣

 松本城は二の丸・三の丸と共に水堀に囲まれており、南側から見ると、石垣の上にそびえる天守閣の影が堀の水に映って、堂々とした風格のある美しい姿を見せてくれます。

旧開智学校校舎


 松本城の北方に国の重要文化財「旧開智学校校舎」があります。明治9年(1876年)に完成した華麗な洋風建築で、中央に風見を配した八角形の塔がそびえる校舎です。信州の教育振興の源泉的役目を果たした歴史を持ち、現在は教育博物館となっています。

松本カトリック教会「旧司祭館」

 移築復元された旧開智学校の向かい側に、現存する木造の西洋館としては県内最古の、アメリカの植民地時代の建築様式を伝える松本カトリック教会の「旧司祭館」が移築復元されて建っており、内部を見学することができます。


早春の野辺山の風景

2010年の早春に、淵野辺から上田までJRの小海線に乗車しましたが、途中 野辺山駅で下車して、目の前にそびえる南八ヶ岳連峰をはじめ野辺山駅前の早春の風景を眺めてきました。2015年6月にも佐久から中央道へ行く途中、宇宙電波観測所に立ち寄ってその施設を見学しました。


南八ヶ岳連峰

 標高が日本一高い場所にあるJR小海線の野辺山駅前は、まだ観光客の姿もなく、駅前の通りから雪を被った赤岳から横岳にかけての南八ヶ岳連峰の稜線が霞んで見えました。(2010.4.)

野辺山駅の駅舎

 野辺山駅の駅舎は幼稚園みたいな可愛らしい小さな駅舎です。駅前には昔 小海線を走っていた客車を牽引していたSL(C56型の蒸気機関車)が展示されていました。(2010.4.)

長野県野辺山の宇宙電波観測所

 国道141号線から野辺山駅の南へ入ると、そこに国立天文台の野辺山宇宙電波観測所があり、その内部施設を見学することができます。2899mの赤岳を主峰とする南八ヶ岳連峰を背景に、アンテナの直径が 10mあるミリ波干渉計のアンテナが6台並んでおり、また太陽の電波画像を撮影する84台の電波ヘリオグラフが広い敷地の中に並んで設置されています。(2015.6.)

アンテナの口径 45m の電波望遠鏡

 電波観測所構内の奥にミリ波観測では世界最大級の、口径 45m のアンテナの大きさを誇る精度の高い超高感度の電波望遠鏡があり、未知の宇宙の様子を観測しています。重いアンテナの方向は台座の回転等で調整されています。(2015.6.)



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