「童謡・唱歌の世界」のMIDIの曲を使用させて頂きました。


東京都内のスケッチ画(その3:中央区)

 東京都の中央区は、東西は東京駅の東側から隅田川と晴見運河の西岸まで、南北は神田川から浜離宮公園まで、銀座・京橋・日本橋を含む東京都の中心に位置しております。江戸時代から商人の居住地区として栄えて来た場所なので、歴史的な旧跡や建物等が各所に散在しております。江戸時代から商業の中心地として存在し、最近は東京湾の埋め立て住宅地として発展を続けている中央区内の各地を訪問し、街歩きをしながらその風物を水彩ペン画で描いております。今回、今まで描いたものを、ここにまとめて掲載しました。今後もこれに追加してゆく予定です。


■中央区の風景1.新橋・銀座通り・日本橋周辺

 東京都の商業地の中心として、江戸時代から今日まで発展を続けてきた銀座通りの周辺を描いたものです。現在まだ新橋、京橋、日本橋周辺の風物の描画を続けておりますので、今後描き上がりましたら ここに追加してゆきます。





有楽町の駅前広場

 中央区有楽町にあるJR有楽町駅南口広場前にある交通会館の入口付近から、駅の北側に建つ東京国際フォーラムの方向を見た絵です。ガラス張りの舟形をした大きな東京国際フォーラムのドームが夕日を受けて光って見えました。東海道新幹線の新しい700系車両が、ちょうど有楽町駅ホームと並行する側線を通過するところを描きました。



数寄屋橋の銀座教会

 銀座4丁目の地下鉄銀座駅の上を走る外堀通りに面して、日本基督教団の「銀座教会」の建物が建っています。ジョン・ウエスレイの信仰を継承するメソジスト教会で、1890年にこの地に建てられました。大都会の商業の中心地にある教会として知られ,平日の毎日、正午礼拝も行われており、尖塔の鐘の音は「銀座の鐘」として知られています。



銀座4丁目交差点(旧服部時計店)

 銀座4丁目の交差点には銀座のシンボルである時計塔のある「旧服部時計店」の建物があります。1881年創業の輸入時計・宝飾品の販売店で、セイコー(株)を経て現在はセイコー・ホールディングスの所有する「銀座和光」の建物となっており、毎時ウエストミンスターの鐘が演奏されています。



鉄砲洲稲荷神社

 中央区京橋の東に、江戸時代は八丁堀の掘割があった場所付近に地下鉄八丁堀駅がありますが、その近くを流れる亀島川が隅田川と合流する地域の湊、明石町のあたりは、江戸時代には鉄砲洲と呼ばれる隅田川の河口洲があった所で、現在はここに鉄砲洲稲荷神社があります。漁師たちの信仰を集めた神社だったといわれています。


■中央区の風景2.築地・月島周辺

 銀座中央通りを南へ行くと新橋で、ここは最近 汐留にあった旧貨物駅の跡地が開発されてビル街に生まれ変わりましたが、その南に浜離宮公園があります。また、東の方へ行くと魚市場のある築地があります。最近は外国人の観光地として、世界中の観光客が訪れ、その場外市場で寿司や日本の食べ物を賞味したり、買ったりしている様子が一日中見られます。隅田川の対岸にある月島には、名物の「もんじゃ焼き」の店が通りを連らねており、隅田河畔の佃島(つくだじま)は,江戸時代に漁業権を与えられていた多くの漁師が住んでいた町で,佃煮(つくだに)の発祥地としても有名ですが,現在でも何軒かの老舗が営業を続けています。佃島は都心に近いにもかかわらず、戦災を免れたために古い建物が多く残っていましたが,最近は新しく建て替えられたり,また周辺に高層住宅が建てられたりして昔の風情がなくなりつつあります。しかし懐かしい古い木造の家屋や店もまだ少し残っています。


旧浜離宮庭園

 新橋駅の南側、鉄道の発祥地 汐留駅の付近は大きなビル街となっていますが、その南側の隅田川に面して国の特別名勝・特別史跡の旧「浜離宮」恩賜庭園があります。初めは将軍家の鷹狩場でしたが、6代将軍徳川家宣の別邸(浜御殿)となり、関東大震災や第2次世界大戦で邸宅はなくなりましたが大名庭園として保存され、昭和20年(1945年)に東京都に移管されて現在一般公開されています。海水を取り入れた塩入池(回遊式築山泉水庭園)には中島の御茶屋があり、庭園の背景にビルの建物が連なって見えます。



改装直後の新歌舞伎座(2013年2月)

 銀座から築地へ向かう途中、昭和通りの先に歌舞伎座があります。歌舞伎の専用劇場で、1889年(明治22年)に開場しましたが、その後 戦災や火災等で改装を重ね、現在の建物は2013年2月に完成した第5代目のもので、1950年に完成した第4期のデザインを継承した複合ビルとなっています。この絵は完成直後の建物を描いたものです。



新歌舞伎座(こけら落とし公演中)(2013年4月)

 新装の歌舞伎座でこけら落しの公演が行われましたが、その垂れ幕が掛った建物を再度描きました。この絵はF8号の大きさで描いた「第32回 八雲展」に出品した絵です。



築地本願寺

 築地本願寺は京都西本願寺の別院で、浄土真宗本願寺派の寺院です。1617年(元和3年)に創建され「江戸浅草御堂」と呼ばれていました。その後、築地の地名となった、海を埋め立てた現在地に本堂が移築され、本堂は関東大震災で崩壊後、昭和9年(1934年)に古代インド様式の石造建造物として再建されたものです。本堂、石塀、山門門柱が国の重要文化財に指定されています。(2010.10.)



聖路加国際大学

 明治33年(1900年)に米国聖公会の宣教医師トイスラーにより聖路加病院の礼拝堂として発足し、昭和11年(1936年)に都内中央区の明石町に聖ルカ礼拝堂が完成しました。現在は聖路加国際大学(看護大学)や聖路加国際病院などが隣接して建っています。ここは赤穂義士の藩主 浅野内匠頭邸跡でもあり、また芥川龍之介生誕の地でもあります。



隅田川河畔から勝鬨(かちどき)橋、月島方面の展望

 明石町の隅田川の土手沿いの遊歩道から、勝鬨橋および対岸の月島を眺めた風景です。月島は高層住宅のビルが建ち並んでおり、隅田川には水上バスや高速観光船が頻繁に走り回っています。



勝どきの高層ビルから眺めた隅田川とスカイツリー

 月島へ渡った勝鬨橋の近くに高層ビルが建っていますが、そのビルの一つ「アパートメンツタワー勝どき」の中層階にある展望室から見た上流方向の展望風景です。隅田川に架かる佃大橋のさらに向こうに、新しく建造された墨田区押上にあるスカイツリーが見えました。「第30回 八雲展」に出品展示した絵です。(2011.10.)



佃島(つくだじま)の船溜まり

 中央区湊および明石町から佃大橋で隅田川を渡って対岸の月島に入ると、川の土手の向こう側に佃(つくだ)の町があります。寛永年間に摂津(現在の大阪市西淀区)の漁師30人が隅田川の河口洲を埋め立てて漁師町を形成し、佃島と称したのが始まりと云われています。赤い欄干の佃小橋のたもとに江戸時代の風情が残る船溜まりがあり、橋の北側に鎮守の住吉神社があります。さらにその先には大川端リバーシティー21やタワーズマンションなどの高層ビルが建ち並んで見えます。(2015.9.)



佃島の老舗の佃煮屋「天安」

 佃島名物の佃煮を製造販売する老舗「天安」の店頭風景です。佃煮はここ佃島がその発祥地で、江戸時代から東京湾で採れる魚介類を醬油で甘辛く煮絞めた味が受け継がれ、現在も数件の老舗が存在していますが、佃島の土手下にあるこの佃煮屋「天安」もその一軒です。(2015.9.)


 10年ほど前の2005年に、佃島を訪れた際に見た風景を描きましたので、ここに一緒に掲載します。



 佃小橋の上から見た船溜まりの風景です。(2005.5.)


 佃島に残っている骨董品を売る古い木造の家屋です。(2005.5.)


 佃煮屋の老舗「天安」の風格のある木造店舗です。(2005.5.)



マイ・スケッチブックへ戻る

表紙へ戻る